こんにちは

心理カウンセラーの よしだひさこ です。

 

早いものでもう4月!

お正月なんて、
ついこの前過ぎたばかりだわー。
みたいな感覚ですが

職場で働く仲間たちや景色も、
ちょっとの間でだいぶ変わりました。

 

さて、今回は人間誰しもが持っているであろう
「何かの役に立ちたい」
という気持ちについて、

私なりの視点でお伝えしていきます。

母親の役に立たないといけないという思い込み

この、「役に立ちたい」という気持ちって
私たち一人ひとりが持つ「」でしかないです。

ただ、その気持ちが
あなたの胸の奥で感じているしんどさや、
人生の足かせになっていることもあるんです。

今からお伝えする過去の私の経験談などを参考に、
ご自身なりにぜひ考えてみてくださいね。

 

*****

 

うちの母は足の痛みを抱えています。

足首に人工関節などを入れ、
何度か手術を繰り返して
今でもゆっくり歩行はできていますが

医師からは、
生涯その痛みは消えることはないと言われています。

その痛みが慢性化するようになったきっかけになったとき、
私が中学生くらいの時かなぁ、
私は母親と一緒にいました。

 

乗っていた路線バスから降りようとしたときに
母が躓いて転んだんです。

私は驚いてアタフタする気持ちと同時に
(派手に転んでダサいし、なんか恥ずかしいわ)
って思いながらも

母の手を取って、
そのバスから離れました。

後日、
近所の病院で診てもらうも、

その後病院を転々としても
母親の足の具合は良くなることはなく、

むしろ徐々に足が悪くなっていく母親からは

「あんたはおかあさんが足を痛めても
すぐに助けようとしなかった。」

と、何度も何度も言われ続けるうちに

私は、

「母親の足が悪くなったのは私のせいだから、
母親の面倒は私がみなくてはいけないんだ。」

と思うようになったんですよね。

私は母のために役に立たなくてはならない、と。

 

家族思いの父親は率先して
家で使う食材などの買い出しは
してくれるようになったけれど、

母親はきっと
娘である私に助けてもらいたいと思っている

と、解釈していました。

 

うちの母は、
一人娘である私のことをとても大好きだからこそ、

思うように動けなくなった
自分の足への苛立ちも込めて
「助けてくれなかった」
と言っちゃっただけなんですけど、

母と一人娘である私の
心理的な距離が近すぎて

その頃の私は

母を助けられるのは私だけなんだ
としか考えられませんでした。

 

その気持ちを持ったまま、
私は30代半ばまで生きてきました。

 

あるとき私は、

「結婚したいと言う割には、あなたは何故結婚できないのか。
また、結婚したくないとしたらそれは何故そう思うのか。」

こんな質問を受けました。

 

実はこの質問は
心理カウンセリングの中で問われたことなのですが、

よくよく掘り下げてみると

 

私の場合は、
足を悪くしてしまった母親との関係の中で

「母親の役に立たないといけない」と
自分の心にブレーキをかけ続けていたことに
気づいたんです。

今ではそのとき、
自分のこびりついた思い込みに
気づかせてもらえてよかったと思っています。

 

その気づきは後々の、

私が婚活で
夫とめぐり逢って
結婚する大きなきっかけとなりました。

「お役に立てない」ときに感じる罪悪感

これまでは私自身の話。

このあとは
私の身の周りにいる優しい人たちの話です。

 

仕事をしていると、
私の場合はとくに客商売ということもあり、

同僚たちのわかりやすい優しさに触れることが
頻繁にあります。

お客様や、一緒に仕事をしている同僚にも、
優しさをもって接している人が多いです。

そこにももれなく
「お役に立ちたい」
という気持ちがあるように感じます。

 

ただ、
その「お役に立ちたい」気持ちが
思いがけない問題を起こすこともあります。

 

例えば

お客様のご案内をしているとき、

どんなにお客様が懇願しても、
怒りを使ってその要望を通そうとしてきても

どうしても
ご要望に応えられないことはあります。

 

しかしながら、
お客様から過度の要求を受けても断れずに、
要求に応じたことで

後々大きな問題を起こしてしまう人も
一定数存在していると、私は感じています。

 

私の場合は
今のような客商売に携わるようになった頃から

お客様に過度の期待を持たせないために
なんでもかんでも「できる」
って言わないようにしているんですけど、

断れない、

若しくは断り切れず、
断るまでに時間がかかる人って

とくに
「お客様のお役に立ちたい」気持ちが
強すぎる
のかなぁと思います。

 

誰だって、
人の役に立つ自分って
気分がよくなりやすいんですが、

断ることが苦手な人って

断ると
役に立てなくなる

つまり、

役立たずになると思い込んで
怖くなっちゃって
自己否定に陥りやすくなるんだと思います。

 

たしかに、
私みたいにできそうにない約束をしない人って

「できない」の表現の仕方や断り方によっては
トラブルを招きかねないのですが、

何故その要望を叶えられそうにないのかを
相手目線できっちり伝えられれば

ほとんどの人には
ちゃんと伝わります。

 

一方、
この「役に立ちたい」気持ちが強すぎる
断ることが苦手な人って

別にトークスキルがないわけではないんですが、

断ることで
自分が悪いと責めてしまうような、
いわゆる罪悪感を感じやすいんだと思います。

 

だからこそ、私は
お役に立ちたいあまりに
自分を追い込んでしまう人って

本当は
すごくツラい気持ちを抱えているんだろうなぁと
感じます。

繊細で優しい人こそ、自分をたくさん認めよう

これまでにご紹介した

「何らかのお役に立ちたい」けれども

私のように身近な誰かを助けたかった人や、
断ることで自分を役立たずだと否定してしまうような

生きづらさを抱えている
繊細な優しさを持った人は、

もっとご自身のことを
認めてあげてほしいなぁと思います。

 

勿論、今の私だって

こちらのブログを通じて
画面の向こうにいらっしゃる

あなたの役に立ちたいと思うから
書いているので、

役に立ちたい気持ちを手放しましょうと
言いたいわけではありません。

 

ただ、
必要以上に自分を追い込んでまで
自分の人生を捧げたり、

リスクやしんどさを抱えるまで
役に立とうとする必要はない

伝えたいのです。

 

そこまでしてでも
役に立ちたいって思う気持ちを持っている
その気持ちは尊いです。

しかし、
度を越してしまうっていうのは
自分で自分を認められないという
証拠でもあります。

何故なら、
何らかの形で役に立って
誰かからの承認を得ないと
自分を認められないってことだから

 

そうやって誰かに認めてもらわないと
自分の価値を見いだせない間は

どんなに誰かに認められても
「まだ足りない、もっと・・・」
と求めるばかりで

その心は
満たされることはないんです

ひび割れた器に注いだ水が
知らず知らずにこぼれ落ちて
満たされないように。

 

もし、
その無限ループから抜け出したいと思うのなら

先ずは自分が取り組んできたことを
ひとつひとつ丁寧に拾い集めて
認めていくことをおススメします。

毎日日記のように記していくのも
いいと思います。

 

私も何年か続けました。

しばらく経ってからそれを読み返すと、
「あのときの私、こんなこと考えていたんだなぁ」
とか
「うわー、私めっちゃがんばってたんだー」
なんて思うと、

自分を自分で認めるってのが
自然と身についてきます。

私の場合は、
オリジナルの器に
キラキラ輝く星を集めるような気持ちがして、
段々楽しくなってきました。

 

私が自分で自分を認めることを
おススメするのは

真面目で一生懸命ながんばり屋さんが
ご自身のすばらしさを認められるようになると

もっともっと
キラキラと輝けることを知っているからです。

 

私もそうであったように、
そんな皆さんを応援しています。