期待感は、応援や祈りに変えて届けよう
こんにちは
心理カウンセラーの よしだひさこ です。
ここ最近、個人的には
抽選に当たるとかの
思いがけない幸運が訪れることが何度かあって
運がよくなってきた気がします。
私の今年の誕生日にお詣りした
出雲大社のおかげだと信じ、
毎日に感謝して過ごしたいと思います。
さて、
今回のブログは
「期待」についてです。
新生活あるあるの「期待」。
こちらについて紐解いていきたいと思います。
ついつい「期待」しちゃうけれど・・・
新年度が始まって、
自分自身は現状維持の生活でも
周りの状況が変わって
なんとなくそれに巻き込まれて
気ぜわしくなっていくことって
誰にでも起きうることだと思います。
私自身もその一人です。
私は今まで通りのポジションで
同じ仕事を続けるだけなのですが、
職場内での人の入れ替わりなどで
今は少し落ち着かない状況です。
とくに
同じチーム内の編成が変わったりすると、
よくも悪くも
今まで出来上がっていた
人間関係のバランスが崩れて
リセットされるってこともありますよね。
そうなると
「期待」と「不安」で疲れてしまう
なんてことも
多いのではないでしょうか。
こういった状況下における「期待」って、
なんとなく
ポジティブな意味で使われることも多いですが、
心理学では比較的、
感情と結びつくと
さほど歓迎されないワードだと
個人的には感じています。
なんでさほど歓迎されないワードに感じてしまうんだろうかと
自分なりに考えてみた結果、
こんな結論に達しました。
①物事や相手に対する依存的な重たいエネルギーを感じる
②双方が結果に振り回されやすくなる
③「不満」とセットになりやすい
シンプルに表現すると
こんな感じかなぁと思います。
「期待」って、
物事や相手によってもたらされた
何らかの成果や結果に対して、
自分が満足すること
なんです。
もっとわかりやすく言い換えると、
相手に「見返り」を求めることですよね。
これが「期待」の本質だと思います。
相手からすると、
それって
めちゃくちゃ重いエネルギーだなぁと思いませんか。
今の私なら、
誰かに期待をかけられても
「あーそうですか、
気にかけてくださり光栄です。
・・・が、自分にできる範囲でがんばりまーす。」
くらいにしか捉えないんですけど、
以前の私は間違いなく
そのエネルギーを
自分に十字架のように背負わせていました。
例えば
両親などからの熱い期待とか。
私の場合、一人娘なので
若い頃の両親が
叶えられなかった思いや成功とかを
私という
自分たちの血をわけた別の個体に映しだして
叶えようとするんですよ。
人から好かれる人間になれ
とか
いい学校に入って
自分たちのような苦労はせずに、幸せになれ
とか色々。
すると私も
両親(とくに母親)との
心理的な距離が近すぎるものだから
なんとなく自然と
自分がその期待を引き受けなければならぬ
と思っちゃうんですよね。
困ったことに。
だから、
「期待」のエネルギーって重いなぁと
私は声高に解説するわけなのです。
「期待」の先に感じやすい感情とは
そして今度は
相手がその「期待」に応えられなかったとき
期待した側の人は
「不満」を感じるようになるんですよね。
相手が(結果を出してくれると)
期待していたのにガッカリした
とか
裏切られた気分だわ
って。
一方、
以前の私のような期待された側は
両親など、
私に期待してくれた人の
思いに応えられないと
できなかった自分自身へ対する
苛立ち、罪悪感から
次第に「自己否定」をしていくようになるのです。
私はなんて情けない人間なんだろう・・・
せっかく期待という(評価される)可能性をもらったのに
応えられない自分は最低だ
こんな感じに。
この、「期待」に振り回されている間
「無価値感」という
自分には何のとりえもない、
自分はダメな人間だと思い込みやすい
傾向を持った人の場合だと
自分で自分にダメ出しをする
過剰な自己大反省会をしがちです。
私もそうであったように。
すぐにでもできる新しいエールの届け方
そこで私が声高にお伝えしたいのが、
周りへの「期待」はやめて
積極的に
「応援」や、「祈り」の
エネルギーの活用をしましょう
ということです。
「応援」とか「祈り」って
こちらから差し出すのみで、
相手へ対する
「見返り」を求めない、
感じさせにくいエネルギーなんですよ。
「応援」にしても、「祈り」にしても
差し出す側が勝手に
応援している、祈っている状態なので、
受けとる側は
どう受け取ろうが自由なんです。
私は、
そこがこのふたつのワードのいいところだなぁ
って思うところなんです。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、
例えば
仕事で新しく仲間入りした人へ
「早く馴染めるように期待してますね」
って言うよりも
「早く馴染めるように応援していますね」
って伝えたほうが、
相手には負担になりにくいんじゃないかなぁ
と感じませんか。
私もそうやって、
新しく仲間になってくれた人を応援したい
と思っています。
また、
「祈る」も
ただただ相手の成功を信じる
とか
何らかの事態が動くのを静観する
という意味なので、
誰かの門出や、
何らかの望みを持ちつつ状況を静観するとき、
自分は相手の力になってあげられなくとも
成功を願うときなどに
私がよく使っているワードです。
「期待」はすべて「応援」に
そして、
「期待」に振り回されがちな
以前のような私と同じタイプの皆さんに
おススメしたい
「期待」との向き合い方は
「期待」はあくまでも相手の都合ですので
こちらはこちらのペースで
好きにやらせていただきます。
「応援」ありがとうございます(はぁと)。
こんな感じです。
まとめると、
自分の中で
他者から発せられた「期待」を
自分の中で「応援」に変換させて
取り入れてみてはいかがでしょうか、
ということです。
最初は当然難しいことだと思いますが、
先ずは
「期待」は過度に意識しなくていいと
認識すること。
これが大切です。
新生活で環境が変わったばかりの人なら
自分のことだけでいっぱいいっぱいだと思います。
先ずは
こんなストレスフルな時期に
自分に与えられた役割を今、
一生懸命に全うしようと奮闘している
自分自身を褒めまくって、
労わることを最優先にしましょう。
また、
環境が変わっていない人だって
周りからの期待を
背負わなくていいんです。
私は私。
あなたはあなた。
そうやって、
自分と相手の間に線を引くことを
意識して
もっとラクで自由に生きましょうね。
因みに
応援することなら私、
めっちゃ得意です。
そもそも
こちらのブログを最後まで読もうとするあなたは
間違いなく
毎日を真面目に一生懸命生きている
ステキな方です。
そうですよね?
ね?
(心の中で頷いてくれればいいですよ)
ただ、
まだどうやって今の自分を
アップデートしていけばいいのか
模索中なだけで。
だから縁あって、
こちらのブログに辿り着いたんだと
私は思っています。
かつての私も
今より幸せに生きる術がわからなくて
毎日もがいていましたから。
その気持ちを理解できると思うからこそ、
私はきっと、あなたの力になれるはずです。
あなたが
私を信じてついてきてくれたらいいなぁと祈りつつ、
あなたの味方として、
チカラの限り応援し続けます。
これからも
いつもがんばっている皆さんを見守り、
応援するようなブログを書いていきますね。
